2013年01月09日

後輩


今日、会社の後輩のお母さんから、お手紙を頂きました。

今年私が送った年賀状のお礼の後に、

「実はご連絡出来なくて、苦しんでおりました。それは今も変わらず・・・
 娘も頑張っておりましたが、昨春、桜の開花も見ずに3月29日に
 天国へ旅立ちました」

と・・・。
入退院を繰り返していたのは知っていました。
でも、もう長い間そういう状況だったので、そんなに具合が悪いとは
知らず。。
「もえさんには在職中からお世話になり、本当にありがとうございました。
 娘も、もえさんにさぞ会いたかっただろうと思います」
と書かれたお母さんのお手紙を読みながら、涙が止まりませんでした。


1つ下で、同じ部署に配属になってきた彼女は、1言えば10返ってくる
ような減らず口の多い、でも面白くて憎めない子で、「もえさん もえさん」
と慕ってくれて、若い頃はプライベートでも一緒にスキーに行ったり、
私達の同期に一人だけ混じって旅行に行ったり、主人の仲間のバーベキューに
誘ったりと仲良くしていた子でした。

入社3〜4年目に付き合って3ヶ月くらいの同期の彼が、なんと
彼女と仲の良いこれまた同期の子に乗り換えて・・・
それでかなり人間不信に陥り、おまけに上司とも上手くいかなくなり、
大勢いる前で、上司と大声で言い合いになったりして。。。

そこから彼女はどんどん痩せていき、身長は160cm位あるのに
体重は30kg台だったと思います。足なんて私の腕より細いんじゃ
ないかというくらいになってしまって。

部署を異動して、周りの人たちとも上手く打ち解けて、良い感じに
なっていると思っていたんですが、やはり一度悪くなってしまった体調は
そう簡単に戻ることはなく。
また、元々口が達者な子だったので、体調が悪くても言うことは言うって
感じで、おじさん達の中には、彼女を良く思っていない人もいたかも
しれません。そういういストレスも重なり、会社を休職することに。

自分が休んでいる間に、変わりに派遣さんが入ったと噂で聞けば
自分が帰るところが無くなるのではないかと心配して、どうなのかと
私に相談の電話が来たり、体調が悪いので多少情緒不安定な電話を
よく貰い、帰宅後の夜や、時には日中の仕事中にかかってきた電話に
1〜2時間付き合ったりもしていました。

休んでは復帰して、1〜2ヶ月でまた休んで…それを繰り返して
結局体力的にも戻ることは出来ず、退職したのは10年位前だったと
思います。
その後も、毎年私の誕生日にはプレゼントを贈ってくれたりして
年賀状と合わせて年に数回交流がありました。

彼女と最後に会ったのは、たぶん6年位前、主人の祖母が入院して
お見舞いに行った際に、病棟で彼女とバッタリ!
主人の地元と彼女は同じ市内に住んでいたので、大きな病院といえば
一緒だったんですよね。彼女もそこに入院していました。

主人とも面識があったので、そのまま彼女の病室にお邪魔して
しばらく話をしたんだけど、明るく「貧血がひどくて輸血してるんです」
とか「子供の頃の病気が再発して、それが悪化しちゃって」などど
話してくれたんだけど、更にやせ細った彼女は手も骨と皮だけって
感じになっていて、「病気のせいで抜けちゃって」と気にしていた口元は、
残っている方が少ないんじゃない?と思ってしまうくらいに、歯が
抜けてすっかり病人になってしまっていました。

そんな病人の姿を見せたくなかったのか、その後何度か会おうという
話になってもはぐらかされ。こっちも悪いかな…と思って、強引に
誘うことも出来ず。。それっきりになってしまいました。

もう会えなくなるならば、一度くらい無理にでも彼女を訪ねて会いに
行けば良かった。

昨年の10月、誕生日プレゼントが届かなかったのも、今年の年賀状が
来なかったのも、体調が悪いのかな位にしか思っていなかった。
ごめんね。。。
20代半ばからずっと病気との闘いで、辛かったでしょうね。
でも、40歳なんてまだ死ぬには若すぎるよ。

お母さんのお手紙に、まだ気持ちの整理が付いていないようなことが
書かれていたので、ご迷惑にならないように一周忌辺りに、お線香を
あげに、彼女に会いに行ってこようと思います。

ご冥福をお祈りいたします。
posted by もえ at 23:45| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他日々の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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